観世榮夫とヒデオゼミ

80年代の終わり、観世榮夫先生のもとに集まっていた俳優、舞踊家らがグループで活動を始め、「ヒデオゼミ」が発足した。まず取り組んだのは能『藤戸』。これを演劇作品と捉え稽古を繰り返した。仕舞や謡を習うのではなく、劇を立ち上げるように取り組んだため、活動開始から1回目の発表会までにおよそ四年を費やすことになる。その後も発表会は続いたが、発表会が近くなると、ワキ役は宝生閑先生のもとへ、アイ役は野村萬蔵先生のもとへ出向き教えを乞うた。同じ作品でも流派が違うと言葉の節回しも解釈も違うことを知る。それは同一作品を観世流、宝生流、和泉流で学ぶという貴重な体験だった。07年の榮夫先生ご逝去までの17年間に取り組んだ曲は『藤戸』『安達原』『隅田川』の三曲のみだったが、メンバー全員がすべての役を担えることを目標にし、さらには様式を固定化して捉えるのではなく、常に表現に対する疑問を持ちながら稽古を重ねた。そのような取り組みは、榮夫先生が古典芸能と現代演劇の架け橋を築こうとする試みにほかならない。また「ヒデオゼミ」は、留学生の受け入れ先になっていたため、文化の異なる海外のパフォーマーたちと共に活動することができたため、日本の古典芸能「能」を世界的な視野で捉えることができた。稽古場所が能楽堂の舞台だったことも私たちにとって得難い身体感覚を養うことができたのではないかと考えている。

第六回発表会(榮夫一周忌)打ち上げ